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ならけんうだし奈良県 宇陀市

このまちのご紹介このまちのご紹介

ずっと暮らしたいまち

奈良県の北東部に位置する宇陀市は、大和高原と呼ばれる緑豊かなまちです。

女人高野として有名な室生寺や又兵衛桜、万葉人柿本人麻呂が魅了されたかぎろひ、水の分配を司る水分神社など、歴史と自然が暮らしの中に息づいています。また、伊勢本街道の宿場町として栄え、当時のにぎわいぶりを伝える街並みは、古の旅人の思いを今も伝えています。

平成18年1月の合併によって「宇陀市」となってからは、日々新たな歴史を刻んでいます。
その原動力となっている「宇陀力(うだぢから)」をより伸びやかに、そしてたくましくするため、みなさまからのご支援をお願いします。

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【心も体もぽかぽかに】”薬草のまち”に古くから伝わる「ヤマトトウキ」の入浴剤 爽やかな香りに包まれるバスタイム 奈良・宇陀市【わが街ええもん物語】

このまちの魅力このまちの魅力

飛鳥時代から続く薬草のまち宇陀市

日本書紀によると、宇陀市は日本最初の薬猟(くすりがり)の記録があり、宇陀を舞台として薬猟が開始され、宇陀の地が王権の猟場であったことを示しています。宇陀地域からは何人もの製薬企業[ロート製薬、ツムラ(旧津村順天堂)、アステラス製薬(旧藤沢薬品)等]の創設者を輩出し、宇陀松山地区には、日本最古の「森野旧薬園」や薬問屋であった細川家跡の「薬の館」も存在します。
このようなことから、宇陀市と薬は推古天皇時代から現在まで続いているものであり、薬の発祥の地として、薬草を活用したまちづくりを推進してきました。

いにしえ万葉人の美しき暁ロマン

万葉の歌人である柿本人麻呂は、軽皇子(後の文武天皇)の伴として当時宮廷の狩場であった当地「阿騎野」を訪れ、その雄大な夜明けの情景を、「ひむがしの野に かぎろひの立つ見えて かへりみすれば 月かたぶきぬ」と詠みました。このとき人麻呂は、今は亡き、草壁皇子(軽皇子の父)を偲びながら「かぎろひ」に軽皇子の時代の到来を、「月」に軽皇子の祖母にあたる持統天皇の時代の終焉をみていたのかもしれません。

美しい眺望の裏にある古人の英知 宇陀松山城跡

標高約470mの山頂にある、国指定史跡「宇陀松山城跡(うだまつやまじょうあと)」。豊臣政権下では、大和郡山城、高取城とともに、大和国支配の要でもありました。宇陀松山城のルーツは、14世紀半ばの南北朝時代にさかのぼります。城を築いたのは宇陀三将の一人である秋山氏。当初は「秋山城」とよばれていました。豊臣家から徳川家の時代に入り、福島高晴が入城。城下町が整備され、「松山城」と名を変えました。今は石垣が残るのみですが、本丸や天守郭などの中心部は石垣造りの巨大な山城だったことが分かります。頂上からは素晴らしい眺め!これほど眺めが良いならば、当時は領内の主要な街道が一望できたことでしょう。城下町、街道と東西南北を見渡せ、交通を把握できる立地条件が宇陀松山城にはあるのです。

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季節のイベント季節のイベント

春春

6月中旬 / 近畿高等学校自転車競技大会ロードレース

秋秋

10月下旬 / うたの秋祭り

平安時代より続くこのお祭りは、年に一度、宇太水分神社の男神である速秋津彦命(はやあきつひこのみこと)に逢うため、惣社水分神社の女神である速秋津姫命(はやあきつひめのみこと)が、神輿に乗り、毛槍・花籠・神輿太鼓などを従えて、片道6㎞の道のりをやってきます。これを「お渡り」といい、全国でも珍しいロマンチックな祭礼です。