富盛の石彫大獅子【レプリカ】2体セット
沖縄県指定有形民俗文化財である「富盛の石彫大獅子」は、最大最古の村落獅子。
八重瀬町のシンボルでもある富盛の石彫大獅子のレプリカです。
【クリア】と【素焼き】の2つをセットにしました。
クリアはつるっとした表面。よごれがつきにくく、光沢がある仕様です。
素焼きはざらっとした表面。より本物っぽい仕上がりになりました。
また、土台の石は港川に程近い場所の石を使用しています。
港川は約22,000年前の人骨化石「港川人」が発掘された場所です。
八重瀬町の歴史がぎゅっとつまった石彫大獅子レプリカの2体セットです。
村落獅子として沖縄県内で一番大きくて一番古い
「富盛の石彫大獅子」
「富盛の石彫大獅子」は、字富盛の勢理グスク(ジリグスク)というお城跡の頂上に置かれています。
火除け(火返し)として、1689(尚貞王21)年に安置されたもので、勢理客からほど近いフィーザン(火山)といわれる八重瀬嶽(ヤエセダケ)に向かっています。
大きさは、高さ141.2cm 全長175.8cmもあり、沖縄県内の村落獅子の中では一番大きな石獅子です。
古い書物には、その昔、富盛村にたびたび火事がおこるので、困った村人は、久米村(現 那覇市久米)の風水師・蔡応端(山田親雲上)に頼んで村の風水(地理)を教えてもらうと、「八重瀬嶽に火の姓がある。
早く獅子の形を作って八重瀬嶽に向けて立てよ」と教えられました。村人は早速、獅子を作って八重瀬嶽に向けて置くと、火事が起こらなくなりました。と書かれています。(※『琉陽巻八』尚貞王21年 より)
その後、獅子を設置すれば災難を防ぐと信じられ、各地に村落獅子が広まっていきました。
今でも、沖縄県内各地で集落の入り口に置かれたシーサーを見ることが出来ますが、「富盛の石彫大獅子」は火返しの神として設置された獅子像の始まりといわれています。
設置されてから300年以上。
沖縄戦も経験し、戦火を見守った。
1945年沖縄戦末期、日本軍司令部が那覇市首里から沖縄本島南端(糸満市・摩文仁)に撤退すると、司令部の壕からほど近い八重瀬町は激戦地となりました。
今でも石獅子に残る弾痕は、当時の戦闘の激しさをうかがうことができます。
もちろんこのレプリカにも弾痕をしっかりと再現しています。
ひとつひとつ手作りのため、サイズ・色に若干の違いがあります。ご了承ください。
提供元:デイセンターこちのなー
配送 | 常温 |
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配送注記 | 寄附受付から1ヶ月〜2ヶ月 |
内容量 | クリア 1体 素焼き 1体 サイズ 石獅子:高さ 最大100×横 最大90mm 台座:119×80mm 厚み 10mm |
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やえせちょう八重瀬町
八重瀬町は、沖縄県本島南部の中心に位置しており、平成18年1月1日に東風平町と具志頭村が合併して誕生した町です。町の南部には八重瀬岳や具志頭海岸といった豊かな自然が広がっており、農業、畜産、漁業が盛んにおこなわれています。町の北部地域は、大型店舗の進出や集合住宅の増加など、都市化が進展しており、田園と都市が共存する町となっています。
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