まちから探すまちから探す 宮城県

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みやぎけん おながわちょう 宮城県 女川町

女川町は、宮城県の東、牡鹿半島基部に位置し、東日本大震災により被災した三陸地域に創設された「三陸復興国立公園」地域に指定されています。奥州三大霊場の一つである『霊島 金華山』は、近年パワースポットとしても人気があり、女川港から定期船が出ています。 北上山地と太平洋が交わる風光明媚なリアス式海岸は天然の良港を形成し、カキやホタテ・ホヤ・銀鮭などの養殖業が盛んで、世界三大漁場の一つである金華山沖漁場が近いことから、魚市場には年間を通じて暖流・寒流の豊富な魚種が数多く水揚げされています。 『女川』の由来は、前九年の役の頃、豪族 安倍貞任が源氏方の軍と戦った際に、一族の婦女子を安全地帯である『安野平』に避難させたことから、この地から流れ出す渓流を『女川』と呼び、のちに地名になったと伝えられています。 また、女川港は古くから天然の良港として知られ、慶長16年(1611年)のイスパニア使節による三陸海岸の探検測量時の文献に『石浜』と『浦宿』の地名が記されていて、明治18年(1885年)の英国ハミルトン将軍率いる東洋艦隊の初入港の際にも、軍艦の停泊に最適として世界中に紹介されています。 近年では、新鮮な魚介類を活用した観光産業を中心に、多くの皆さまに足を運んでいただいていましたが、平成23年3月11日発生の東日本大震災により、町中心部は壊滅的な被害を受けました。これまで以上の水産都市の実現へ向け、『女川町』は総力戦で1日も早い復興を目指しています。

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みやぎけん かみまち 宮城県 加美町

加美町は、平成15年4月1日、中新田町、小野田町、宮崎町が合併し誕生しました。宮城県の北西部に位置し、面積は約461平方キロメートルあり、県内でも有数の面積を有しています。秀峰 薬莱山と鳴瀬川の清流により育まれた加美町は、どこか懐かしい里山風景が広がり、子供から大人まで楽しめる様々なアウトドアスポーツや、歴史的に価値のある貴重な文化、古墳や遺跡が沢山存在しています。「住民満足度100パーセント、日本一の加美町」の実現のために、雇用の創出・子育て支援の充実と教育力の向上・高齢者および弱者に対する福祉政策の充実の3本の柱を基軸に政策を進めています。 是非一度お越しください。加美町への温かい応援をお待ちしております。 ************************************************************************ お申し込みは24時間受け付けております。 お問合せは、下記にお願いいたします。 <ふるさと納税お問い合わせ窓口>  宮城県加美町 ふるさと納税サポートセンター:業務委託先 株式会社フロムゼロ   TEL:050-3646-8293   Mail:cskamimachi@fromzero.pro   受付時間 9:00~17:00   ※土日祝日、年末年始(12/29~1/4)は休業です。   ※メールの返信は翌営業日以降となりますので、ご了承ください。 ************************************************************************

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みやぎけん ひがしまつしまし 宮城県 東松島市

東松島市は、矢本町と鳴瀬町が合併し、2005年に誕生しました。 宮城県北部に位置し、仙台市から北東に約30kmの距離にあり、東に石巻市、西に松島町、北に美里町に接し、南側は太平洋に面しています。 面積は101.86㎢キロメートルで、気候は東北地方では比較的温暖で、風雨の少ない地域にあります。 市域の東部は肥沃な田園が広がる平坦な地形、中央部には市報を一望できる桜の名所「滝山」を中心とする丘陵地。西部は、一級河川鳴瀬川・吉田川が太平洋に注ぎます。さらには、市の南西部は風光明媚な日本三景『松島』の一角を形成し、松島四大観のひとつ「壮観」と呼ばれる「大高森」や日本三大渓のひとつ「嵯峨渓」などを有し、奥松島とも呼ばれます。変化に富んだ自然が織りなす美しい景観を有する市です。 2011年3月11日に発生した東日本大震災では、本市も甚大な被害を受け、死者1,110名、行方不明者24名(2015年9月1日現在)、市街地の65%が浸水し、半壊以上の家屋が11,000棟以上、農地や漁港をはじめとする産業施設や社会基盤施設にも壊滅的な被害が生じました。 被災状況の中でも国内外から多くの救援や支援、ボランティア活動による物心両面からの援助を受け、多くの市民が深淵の縁から光明を見いだし、復興へ向けて歩き出すきっかけになりました。未だ多くの世帯の人々が応急仮設住宅に住んでいる状況ですが、防災集団移転事業や災害公営住宅整備事業により、新居への居住が進んでいます。各移転先地ではまちづくり組織が立ち上がり、話し合いを繰り返しながら自分たちのまちづくりが進められています。 単なる復旧にとどまらない、より良い未来を築く本当の復興を遂げるために、『東松島市復興まちづくり計画』をもとに、『環境未来都市』構想の推進、官民連携で復興事業を進めるための中間支援組織『一般社団法人東松島みらいとし機構(HOPE)』の設立、将来を担う子供たちのために自然環境を学習に取り込む『森の学校』などを進めています。東松島の地域に根ざしてより良い未来を創造できるよう、「東松島一心」を合い言葉に、復興まちづくりを進めています。